東京国立博物館で見仏3
引き続き仏像を見ていく。今はただただ見ていくことしか出来ない。
仏像を見て、うむ、これは作られたのがいついつぐらいで非常に珍しいなんとかでなんとか独特の味わいがあって苦みばしった大人の味などとウンチクを語れるような知識は私にはないのだ。
従って最初の方は、仏像をみて「ぶつぞうだー」とつぶやくという、アホのような感想もあるが、しばらく我慢してほしい。
頭、右手、左手とばらばらになったショッキングな仏像。顔がにこやかなのも怖さをアップする要因だ。
埋まってたのを掘り起こしたんだろうか。他のパーツはいったいどこにいってしまったんだ。完全に壊れたのか誰かが持ってったのか。謎は深まるばかりだ。
両手がなくなっているのに、そんなにのんきにしていていいのかと言いたくなる仏像。あー、今日の夜は何食べようかなー、などと考えていそうな平和なオーラがばりばり出ている。私はそういうオーラが好きだ。たとえ両手がなくとも。
今度はちゃんと五体そろっている。ところで、背後にあるついたてというか壁のようなものはなんだろう。後光がさしている表現なのかと思っているのだが、もしかして何かの仏具なのだろうか。
調べてみたところ、やはり後光の表現なのだそうだ。すごい、私の予想が当たっている。
たしかに、こんな仏具を背中につけていたら移動が大変だろう。肩も凝ってしまう。
ところでこのポーズはなんだろう。左手で受けて右手で押すみたいな感じのポーズ。座る・立つ・寝るという基本ポーズに加え、手や足のポーズが加わってくると訳がわからなくなる。
調べてみたら、右手は施無畏印(せむいいん)と言って説法を聞く人の緊張を和らげ、左手は与願印(よがんいん)といって仏の深い慈悲を表すんだそうだ。つまり、説法するときのポーズか。
また、日本仏像事典という仏像ガイドブックが11月に出るらしく、そこに手指のポーズ(印相)が載っていると書いてあった。値段は2600円くらいでわりと手ごろだ。メモ代わりにここに書いておく。
<続く>
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